年号 | 西暦 | 月 | 日 | 満 年 齢 |
事 項 | |
慶応4 明治元 |
1868 | 2 | 4 | 0 | 江戸、芝、田村町植村家(大和国高取藩主)家中に生まれる 士族 和田竹造の三男、母うたは三嶋大社の神官日比谷氏の息女 |
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2 |
1869 | 1 | ||||
3 | 1870 | 2 | ||||
4 | 1871 | 7 | 12 | 3 | ||
5 | 1872 | 4 | 父和田竹造大和国高取町において逝去 同町光明寺に埋葬、享年43才 | |||
6 | 1873 | 5 | ||||
7 | 1874 | 6 | 6 | 6 | 米山はる生まれる | |
8 | 1875 | 7 | 映雪舎入学と推定 抜群の成績により嘱目される | |||
9 | 1876 | 8 | ||||
10 | 1877 | 9 | 2月 西南の役 | |||
11 | 1878 | 10 | ||||
12 | 1879 | 11 | 養子縁組の話 | |||
13 | 1880 | 12 | ||||
14 | 1881 | 13 | 沼津中学校入学 静岡県駿東郡長泉村米山家より通学 当時の校 長は江原素六 |
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15 | 1882 | 14 | ||||
16 | 1883 | 12 | 15 | 沼津中学校退学上京 12/13着京、銀座江南学校に入る | ||
17 | 1884 | 16 | 東京都芝区土居光華塾入門 塾友藤田四郎(後、農務局長、貴族 院議員)その他を知る | |||
18 | 1885 | 17 | 東京府吏員採用試験に合格 芝愛岩町2丁目に和田母堂と居住 | |||
19 | 1886 | 18 | 東京府渋谷、東京英和学校入学 米人ニコール・バックにつき語学勉強 | |||
20 | 1887 | 10 12 |
6 末 |
19 | 東京英和学校退学 東京銀座福音会英語学校入学 静岡県駿東郡長泉村米山藤三郎養嗣子として入籍 年末、渡米 桑港着 | |
21 | 1888 | 4 | 20 | 桑港福音会寄宿舎に入る ハリス博士、本多庸一に導かれる 米山はる東京築地海岸女学校入学 |
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22 | 1889 | 21 | ||||
23 | 1890 | 22 | ||||
24 | 1891 | 23 | ||||
25 | 1892 | 24 | 米山はる東京英和女学校卒業高等科に進学 | |||
26 | 1893 | 25 | 5/1〜10/30、米国シカゴ世界博覧会で日本品の説明をする | |||
27 | 1894 | 26 | 在米8年間に亘り加州ベルモンド、アカデミ、オハイオ州ウェスレアン大学、ニューヨーク州シラキュース大学において修学、法学専攻 (年月不詳) | |||
28 | 1895 | 27 | 帰朝 | |||
29 | 1896 | 3 9 10 |
1 6 |
28 | 勝海舟に師事 米山はる青山女学院高等科卒業 東京博文館より『提督彼理』を出版、海舟の題字、藤田四郎局長の序文 静岡県駿東郡長泉村において米山はると結婚 日本鉄道会社(上野・青森間の鉄道)入社 渉外事務担当 |
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30 | 1897 | 8 10 |
22 23 |
29 | 東京市本郷区弥生町において長女愛子生まれる 合名会社三井銀行に入社本店詰 月俸40円 |
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31 | 1898 | 7 8 9 10 10 |
27 16 13 7 26 |
30 | 三井銀行神戸支店次席 月俸55円 銀行業務取調の為め欧米出張を命ぜらる 仕度金250円 ゲーリック号にて横浜出帆 9/30サンフランシスコ着 10/5シカゴ 同行者 英国ロンドンに帰任する三井物産渡辺専次郎、銀行の同僚池田成彬、丹幸馬 ニューヨーク市到着同市マーカンタイル国立銀行及びフィラデルフィア市フォースストリート国立銀行において事務見習 次女澄子生まれる |
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32 | 1899 | 1 2 10 11 11 11 |
28 5 17 23 27 29 |
31 | ニューヨークからロンドンへ向かう ロンドン到着、同市ナショナル、プロフィシャル銀行において事務見習、 ドイツ、フランス、オランダ、ベルギーを視察 ブラツセルに長期滞在 ゼノア発 帰朝長俯着 帰京 三井銀行本店調査課勤務 池田、丹と共に『欧米銀行業務取調報告書』を作製 |
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33 | 1900 | 3 5 |
22 1 |
32 | 三井銀行本店営業部勤務
三井銀行大阪支店長代理 |
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34 | 1901 | 2 8 |
21 |
33 | 長男東一郎生まれる
『提督彼理』再版発行 |
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35 | 1902 | 5 7 |
1 28 |
34 | 三井銀行大阪支店次長
三井銀行大津支店長 |
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36 | 1903 | 10 | 2 | 35 | 三井銀行東京深川支店長 | |
37 | 1904 | 12 | 24 | 36 | 三井銀行横浜支店長 | |
38 | 1905 | 2 4 |
23 5 |
37 | ポール・ハリス シカゴにロータリークラブ創設
次男駿二生まれる |
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39 | 1906 | 7 | 18 | 38 | 三男桂三生まれる | |
40 | 1907 | 1 | 16 | 39 | 三井銀行大阪支店長 | |
41 | 1908 | 8 | 28 | 40 | 実母和田うた逝去 享年81才 | |
42 | 1909 | 10 11 12 |
11 18 |
41 | 株式会社三井銀行常務取締役兼大阪支店長 兼任を解かる 別邸敷地約3000坪取得 |
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43 | 1910 |
4 8 11 |
12 6 |
42 | 東京市麻布算町9番地に移転 最初のロータリー大会シカゴに開催 The Nationa1 Association of Rotary Clubsを結成 初代会長ポール・ハリス、幹事チェスリー・ペリー 東京市芝区高輪南町53番地に移転 |
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44 | 1911 | 3 5 |
10 15 |
43 | 養父藤三郎隠居 梅吉家督相続
東京市赤坂区青山南町6丁目113番地に移転 |
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45 大正元 |
1912 | 8 | 44 | デュルース大会にてThe Nationa1 ASSociation of Rotary ClubS を The lntemationa1 ASSociation of Rotary ClubSに改称 同大会においてポール・ハリスをPreSideht EmduS(名誉会長) に推挙歯刻みのあるロータリー徽章が初めて採用される |
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2 | 1913 | 3 3 7 10 |
15 28 3 |
45 | 第3回外遊 片山繁雄同伴 モスコーに 往路シベリヤ経由 英国にて渡辺専次郎と会し、渡仏、パリにて外資輸入をはかる 米国を回り帰国 帰朝『飛脚だより』を著す 養父米山藤三郎夫妻金婚式 |
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3 | 1914 | 46 | 新隠居論を書き報恩の趣旨を明らかにする | |||
4 | 1915 | 4 7 |
4 |
47 | 日仏銀行取締役 東京市赤坂区青山南町6丁目116番地に新築移転、定住 |
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5 | 1916 | 秋 |
48 | 青山学院拡張募金委員長 夫人、長女、二女と共に関西、九州旅行 |
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6 | 1917 | 6 9 10 |
6 13 15 |
49 | 長女愛子、高木逸雄に嫁す 静岡県駿東郡長泉村下土狩に別邸を構える 政府特派財政経済委員に任命される(委員長男爵目賀田種太郎) 午後コレヤ丸にて横浜港出帆 |
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7 | 1918 | 1 1 2 3 6 10 11 11 12 12 |
1 23 9 16 15 22 14 24 3 12 |
50 | 米国ダラスで福島喜三次を訪ねる コレヤ丸でサンフランシスコを発つ 帰朝 2/11大正天皇に拝謁 5/23金杯下賜 次女澄子、荒川昌二に嫁す 講演集『起てる米国』出版(非売品) 男爵團琢磨と共に鮮満経由渡支 北京滞在11日 万里の長城(八達嶺) 夜北京発 上海で團と共に孫文と会見 帰朝 |
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8 | 1919 | 8 12 |
51 | オハイオ州ウェスレアン大学よりマスター・オブ・アーツの学位を受く 福島喜三次、米国より帰国の途につく |
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9 | 1920 | 2 4 5 7 8 9 10 |
28 28 1 1 20 |
52 | 福島、東京にロータリークラブを創ることの特別代表委嘱さる 三井合名会社参与 政府臨時財政経済調査委員(内閣) 東京にロータリークラブを創ることの期限延期承認 米山、東京銀行倶楽部でロータリー創設の説明 東京RC設立準備会 東京RC誕生 米山、会長となる 内外編物株式会社の創立に参画 |
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10 | 1921 | 1 4 10 11 11 11 11 12 12 12 |
4 1 15 4 9 12 21 13 16 23 |
53 | 長男東一郎逝去 享年20才 米山、東京RC会長重任 英米訪問日本実業団に参加し、横浜港出発 米山、シカゴに滞在 〜8日 ニューヨーク着 オイスタ・ベーにおいて故大統領セオドール・ルーズベルトの墓に花環を捧げ、旧邸に未亡人を訪ねる ホワイト・ハウスで大統領ハーディングと会見 野口英世をロックフェラー研究所に訪ねる シカゴに サイペリヤ丸にてサンフランシスコより帰国の途に |
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11 | 1922 | 1 1 2 5 6 9 10 11 |
9 25 3 22 17 |
54 | 横浜入港 帰朝 米山、東京RC例会で訪米の話 渡米歌日記『八十七日』を出版 青山学院に米山東一郎記念寄附の道場落成 北海道、松島旅行 lntemationa1 ASSociation of Rotary ClubS の名称をRot町lnter- nationaに改める RI定款、細則を改正、6ヶ条の綱領、爾後設立のクラブはこれに準拠 次兄和田菊松逝去 養父米山藤三郎逝去 享年75才 大阪に日本第2番目のロータリークラブ゙結成 |
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12 | 1923 | 1 1 8 9 10 12 |
4 15 12 |
55 | 『提督彼理』を亡児東一郎の為に記念出版 静岡県駿東郡長泉村へ教育基本金として3000円を寄附 三井銀行常務取締役を辞し取締役となる 関東大震災に際し、RIや各国ロータリークラブより多額の見舞金贈られる 帝都復興院参与 対支文化事業調査員 三井信託株式会社創立準備続行 |
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13 | 1924 | 3 3 4 4 7 8 |
25 26 13 |
56 | 三井信託株式会社創立、取締役社長(会長團琢磨)資本金3000万円 長兄和田栄次郎逝去 享年69才 政府経済会議議員(内閣) 徳川家達と共に伊豆下田に赴き、静岡県育英会の為に古田松蔭に関し講演 日本にスペシャル・コミッショナーが置かれ、米山就任 神戸RC誕生 |
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14 | 1925 | 2 春 4 5 10 |
28 26 28 |
57 | 信託協会会長 夫人、子息駿二、桂三を伴い鮮満支旅行 米山、名古屋RC認証状伝達式出席(創立 大13/12/18) 東京商業会議所特別委員 京都RC発会披露式(創立9 /28)米山出席 |
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15
昭和元 |
1926 | 1 4 5 6 6 7 9 |
17 15 4 |
58 | 信託協会を社団法人に改組会長就任 愛宕山放送局より『信託の話』を放送 第1回日本ロータリークラブ連合懇親会 於大阪 〜16日 次男駿二逝去 享年21才 米山、RI理事に選ばれる 井坂孝(東京)第2代スペシャル・コミッショナーに就任 政府金融制度調査会委員(内閣) |
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2 | 1927 | 7 8 9 9 9 10 10 |
20 28 21 23 |
59 | 平生釟三(大阪)第3代スペシャル・コミッショナー就任 京城RC結成 『銀行行餘録』出版 日本評論社 三信建物株式会社創立 発起人総代 財団法人金融研究会評議員 横浜RC認証状伝達式 米山出席(創立6/1) 第2回日本ロータリークラブ連合懇親会 於東京 〜24 |
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3 | 1928 | 4 5 7 7 9 9 10 11 12 |
16 6 12 1 10 6 |
60 | 養母米山さく逝去 享年81才 第3回日本ロータリークラブ連合懇親会 於名古屋 平生、RIに対し口本にDistrict設置を強硬に申し入れる 満州国を含む第70区設定され発足 第70区初代ガバナーに米山就任 紺綬褒章受章 『ロータリーの創設者ポール・ハリス』翻訳書出版 第2回太平洋地域ロータリー大会 於東京 〜4 正六位に叙せらる 大連RC誕生 |
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4 | 1929 | 2 3 4 5 5 6 7 7 8 9 |
23 8 27 10 28 9 10 17 23 |
61 | 東京中央放送局において『ロータリー・クラブに就て』ラジオ放送 奉天RC誕生 第70区第1回地区年次大会 於京都 〜28日 春洋丸にて子息桂三同伴横浜港出帆 ダラス市のロータリー世界大会に出席、その後欧州を回る ダラスの世界大会、その後の国際協議会に出席 〜6/5 シカゴのロータリー本部訪問 米山、ガバナー重任 ニューヨーク出発、ロンドンに向う マルセイユ発 帰朝 マルセイユからインド洋経由 |
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5 | 1930 | 3 4 5 5 6 7 10 10 |
25 30 10 25 3 12 |
62 | 歌集『東また東』出版 ハルビンRC誕生 第70区第2回地区年次大会 於神戸 〜11日 会長代理マルホーランド 米山、最初のガバナー通信発行 ロータリー創立25周年記念国際大会シカゴに開催 米山、ガバナー重任 産業調査会評議員(信託業代表) ガバナーとして、大連、ハルビン、奉天、京城その他RC訪問 〜26日 |
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6 | 1931 | 3 3 5 6 7 7 9 11 |
23 28 9 12 19 |
63 | 台北RC創立のため、台湾に向かう 3/27台北RC誕生 台北JFAK放送局において『国際ロータリーの組織に就て』ラジオ放送 第70区第3回地区年次大会 於横浜 〜10 日 米山、大阪RC例会に出席 講演 井坂孝(横浜)2代目ガバナーに就任 長泉村下土狩の別邸の庭に竜舌蘭が咲き、佐佐木信綱訪れる 第70区第1回地区協議会 於京都ホテル 静岡県駿東郡長泉村立小学校に米山文庫を寄贈 鉄筋コンクリート造瓦葺、平家建16坪、図書1000冊 |
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7 | 1932 | 3 3 3 4 6 7 10 12 |
5 5 15 28 3 23 3 |
64 | 広島RC誕生 朝、三井本社にて団琢磨凶変 直後同社に出勤 三井合名会社理事 第70区第4回地区年次大会 於大阪 〜29日 RI会長代理米山梅吉 歌集『四十雀』出版(非売品) 井坂、ガバナー重任 第70区第2回地区協議会 於京都ホテル 札幌RC誕生 |
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8 | 1933 | 3 4 7 8 12 |
5 29 26 12 |
65 | 福岡RC誕生 第70区第5回地区年次大会 於東京 〜30日 RI会長代理米山梅吉 村田省蔵(大阪)第3代目ガバナーに就任 第70区第3回地区協議会 於大阪綿業会館 小樽にRC誕生 |
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9 | 1934 | 3 3 4 5 6 6 6 7 7 7 8 |
23 5 5 4 6 26 25 |
66 | 日本赤十字社常議員 財団法人三井報恩会理事長 『幕末西洋文化と沼津兵学校』出版 第70区第6回地区年次大会 於名古屋 〜6日 RI会長代理米山梅吉 三井信託株式会社社長辞任 三井信託株式会社取締役会長 宮岡恒次郎(東京)RI理事に選ばる 村田ガバナー重任 三井銀行取締役辞任 第15回赤十字国際会議日本赤十字社代表委員 第70区第4回地区協議会 於高野山金剛峯寺 米山欠席 この年、高雄2/2、岡山3/3、門司9/25、今治10/17、函館10/25、旭川10/26、新京11/20にRC結成 |
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10 | 1935 | 2 2 5 6 6 7 7 8 10 |
9 18 4 25 20 8 |
67 | ポール・ハリス来日 〜10日 米山歓迎挨拶 第5回太平洋ロータリー大会マニラに開催 〜20日 第70区第7回地区年次大会 於京都 〜5日 RI会長代理サットン このときより前夜懇談会の慣行 ロータリー綱領4ヶ条となる 財団法人日本結核予防協会評議員並に監事 朝吹常吉(東京)ガバナーに就任 第70地区ガバナー事務所を東京に開設 第70区第5回地区協議会 於東京會館 幕末西洋文化と沼津兵学校』訂正再版出版 三省堂 この年、釜山2/28、帯広3/15、岐阜4/15、金沢4/17、徳島4/ 18、静岡6/24、四日市12/24にRC結成 |
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11 | 1936 | 2 5 5 5 5 5 6 7 8 9 9 |
22 4 3 18 18 28 25 4 4 |
68 | 三井合名会社理事辞任
『常識関門』出版 実業之日本社 恩賜財団愛育会監事 第70区第8回地区年次大会 於神戸 〜4日 『ロータリーの理想と友愛』(“The Rotarian Age")訳書出版三省堂 財団法人全日本方面委員連盟評議員会理事、社団法人農村工業協会評議員 三井信託株式会社取締役会長並に社団法人信託協会会長辞任 昭和洋画奨励会創立、理事 佐藤昌介(札幌)ガバナーに就任 第70区第6回地区協議会 於東京會館 浜松RC認証状伝達式出席(創立2/4) 法律審議会臨時委員嘱託(内閣) この年、浜松のほか郡山5/19、室蘭10/26、長崎11/3、釧路11/23 に新クラブ結成 |
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12 | 1937 | 2 5 7 8 11 11 |
12 15 21 11 16 |
69 | 財団法人緑岡小学校校長 理事長 緑岡幼稚園を創立し、夫人が園長として就任 第70区第9回地区年次大会 於札幌 〜16日 RI会長代理米山梅吉 里見純吉(大阪)ガバナーに就任 第70区第7回地区協議会 於山中湖 NHKより外国向け『戦争と宣伝』放送する 青山学院創立記念日に『国士本多庸一先生』を講演し、青山学院との関係をも明らかにす この年、仙台2/20、基隆3/17、和歌山4/27、平壌5/8、西宮5/20、松山7/7、高松7/24、野付牛9/19、高知10/2に新クラブ誕生 |
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13 | 1938 | 2 2 5 5 7 7 7 8 9 11 12 12 |
6 14 15 18 6 20 9 26 |
70 | 内孫明生まれる 東京RC会員で、貴族院議員の松井茂が貴族院予算委員会でロータリークラブについて質問 第70区第10回地区年次大会 於京城 〜16日 RI会長代理朝吹常吉 米山欠席 大邱RC誕生 松本健次郎ガバナーに就任 ガバナー事務所専任幹事として芝染太郎(東京)が委嘱される 第70地区機関誌として「国際ロータリー月報」発刊 第70区第8回地区協議会 於比叡山延暦寺 地区協議会にて機構改革委員会を設置、同委員会の提案を圓こ送附 『看雲録』出版 千倉書房 肺炎で聖路加病院へ入院 貴族院議員に勅選 ニューヨーク・サンフランシスコ万博協会長(後、病気のため辞退) |
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14 | 1939 | 2 2 3 3 3 3 4 5 7 7 7 8 9 10 12 |
20 23 15 25 29 11 26 30 18 |
71 | 聖路加病院退院 盛岡RC結成 恩賜財団済生会監事 第70地区の機構改革案に関し、来日中のRIのPotter副幹事と懇談 ロータリーに対する誤まった世論に対し東京RC会員で貴族院議員の松井茂、貴族院予算委員会において政府の所信を糺す 続いて3/23にも 熊本RC結成 第70区第11地区年次大会 於別府 〜30日 RI会長代理村田省蔵 米山欠席 芝染太郎、日本より提案の改組案説明のため渡米 第70区を3地区に分割、第70、71、72区となる ガバナーに第70区森村市左衛門、第71区大沢徳太郎、第72区貝瀬謹吾 就任(指名9/18) 日満ロータリー連合会結成 米山、連合会会長に就任(10/ 9 ) 第70区第9回地区協議会 於東京會館 米山、仙台、盛岡RC認証状伝達式出席 ロータリーについてラジオ放送 ガバナー事務所の名称を「日満ロータリー連合会事務所」と改称 『国際ロータリー月報』を『日満ロータリー月報』と改む 内孫治生まれる |
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15 | 1940 | 3 4 5 5 6 7 7 8 9 9 10 11 |
22 23 5 21 8 11 6 |
72 | 全国社会事業大会常設委員 新潟RC結成 第1回日満ロータリー連合大会 於横浜 〜6日 琉球、岡山、四国の癩療養所視察 宇和島RC結成 ガバナーに第70区平沼亮三、第71区岡崎忠雄、第72区篠田治作就任 JAPKでの英語によるアメリカ向けラジオ放送 静岡RC、続いて大阪RCその他のRCもRIを脱退 東京RC解散宣言 新団体創立委員に元ガバナーを含めて25名を指名 熊本、鹿児島の療養所視察 ロータリー解散についての文書を各クラブに送付 |
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16 | 1941 | 2 4 秋 |
73 | 米山、東京水曜会に出席 青山学院緑岡小学校、初等学校と改称 肺炎で聖路加病院に入院 年末退院 |
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17 | 1942 | 4 5 5 7 12 |
19 31 |
74 | 勲四等に叙せられ瑞宝章受章 福島、岩手、青森、新潟、長野の癩療養所並に緬羊事業視察 病気入院 〜6月 群馬県草津の癩療養所視察 青山学院緑岡初等学校校舎設備完成 |
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18 | 1943 | 秋 | 75 | 発病 聖路加病院入院 | ||
19 | 1944 | 8 9 11 11 |
23 29 |
76 | 青山学院緑岡初等学校児童200名学童集団疎開にて静岡県湯ヶ島 落合楼に向け出発、校長として見送る 財団法人三井報恩会理事長辞任 評議員会会長 静岡県駿東郡長泉村下土狩疎開 米山、東京水曜会に出席卓話 湯ヶ島落合楼に疎開児を見舞う |
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20 | 1945 | 5 9 9 11 12 12 12 |
25 4 5 25 15 31 |
77 | 東京都港区赤坂青山南町6丁目116番地の本邸戦災焼失 終戦後の国会に登院 東京大学附属病院に入院 同病院退院 米山、東京水曜会家族会に出席 静岡県駿東郡長泉村下土狩に帰る 昭和洋画愛励会満期解散 |
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21 | 1946 | 3 4 5 9 |
20 28 1 17 |
78 | 緑岡初等学校、学校法人青山学院に移管、同時に校長辞任 静岡県駿東郡長泉村大字下土狩別邸において逝去 享年78才3ヵ月 現職 財団法人三井報恩会評議員会会長 社団法人青山学院校友会会長 財団法人青山学院理事 正六位勲四等 貴族院勅選議員其他 下土狩別邸において葬儀 聖徳院殿梅園浄香居士 福島喜三次逝去 享年65才 |
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22 | 1947 | 1 | 27 | ロータリー創設者 ポール・ハリス逝去 享年78才 | ||
30 | 1955 | 3 | 31 | 夫人はる逝去 享年81才 |