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米山梅吉は、1868年2月4日東京芝に生まれました。父の死去に伴い、家族は静岡県三島に移ります。梅吉は、駿東郡長泉村の映雪舎に学んでいた頃からその成績のよさが嘱目されます。当時校長が江原素六であった沼津中学に通い出すと、それまでの漢学に加え、蘭学、西洋文化など新しい学問に触れ、その知識欲がさらに膨らんでいきます。回覧雑誌を作ったり、雑誌に投稿するなど文学少年でもあり、後に和歌や俳句を嗜む土壌は少年時代から培われていました。この前途有望な少年は地元長泉で400年以上続く米山家にこわれて、後に養子縁組を結ぶことになります。16歳の時、沼津中学を退学して単身上京。働きながら勉強を続け、20歳の時さらに大きな世界を求めてアメリカに渡ります。
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| 『提督彼理』 |
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勝海舟の題字 |
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米山は8年間の留学を終えて帰国します。帰国時『提督彼理(ペルリ)』という原稿を携えていました。黒船を率いて日本に来たペリーの資料をもとにまとめたこの本には、帰国してから師事していた勝海舟による題字が記されて出版されました。そして縁あって三井銀行に入行。入行1年目にして神戸支店次席、同時に欧米視察の出張命令が出るなど順調なスタートをきります。その後数回に渡る海外視察を重ねて近代銀行業務の基礎を築いていきます。また日本で初めての信託会社となる三井信託株式会社を創立して、初代社長に就任します。
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長泉小学校と米山文庫
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実業家として活躍する一方、三井報恩会初代理事長として社会的・文化的事業への援助を積極的に進めます。その他緑岡小学校(現在の青山学院初等部)の設立、長泉村へ図書館の寄贈など自らの信念に基づいた社会奉仕活動も熱心に行いました。
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ポール・ハリスとの対面
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47歳の時、事業に成功して目途がついたら後進に道を譲り、報恩社会奉仕の道をさがすべしという「新隠居論」を著した米山にとって、奉仕を理想とする人々が集うロータリークラブとの出会いは、必然であったといえるかもしれません。1905年にポール・ハリスがアメリカで創ったロータリークラブを1920年東京に設立。日本に初めてロータリークラブが誕生し、その創成期の活動の中心に立ちます。
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奉仕活動をする子供たち
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こうして公私共に奉仕の精神を持ち続け、生涯を通じて活動を続けました。この米山精神は、米山梅吉記念館を預かる全国のロータリークラブによる奉仕活動や、長泉町内の小中学校で命日に設けられた米山デーとして、現在の子供たちにも受け継がれています。
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秋季例祭の様子
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米山梅吉記念館は、米山梅吉の遺徳を偲びその偉業を顕彰するため、昭和44年米山ゆかりの静岡県駿東郡長泉町に開館しました。平成10年には新館も完成し、地元長泉ロータリークラブの例会場として利用されているほか全国からのお客さんを迎えています。
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